2010年6月24日木曜日

オリジナルと模倣の密着した関係

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オリジナルと模倣の密着した関係について書いてみます。
デジタルが中心になっている現在、模倣なんて簡単なものです。
コピーしてペースト。ただこれだけ。
すべてコピペと言うのは論外ですが、この模倣と言う方法自体は否定されるべき行為なのでしょうか?
誰であれデザインをする際には、独自性を出して完成度を追求したいものです。
オリジナリティが無いものを作る意味はない、と思います。
ただ、どこがオリジナルなのかという所は意識しないといけません。
オリジナルと模倣は、遠くはなれている訳ではないのですから。
それはもうべたべたに密着した関係といえるかもしれません。


オリジナルはあり得るのか?


最も初期の芸術とはどんな意味合いだったのでしょうか?

そもそも、芸術という言葉のくくりは後からいくらでも押しつけが出来てしまう類いのものです。
昔のものをみて、これが芸術だ!といえば、芸術作品の発見となります。

つまり、作られた意図なんて関係ない場合も多いというわけです。
むしろ、最近はそういったことが多いようにも感じますが・・・。
どんなものでも権威が認めればそれは価値ある芸術になりますし。

・・・・横道に少しそれたので、話を元に戻します。

基本的には自然を記録することがおもだった目的です。
そして、自然を記録すると言う事は、自然を模倣すると言う事に他なりません。

つまり、ダビンチもロダンもミケランジェロも自然(や人体)を模倣している訳です。


では、彼らの作り出したものはオリジナルではないのか?


私はオリジナルだと思います。
その模倣の程度や方法がオリジナルといえるのではないでしょうか?


完全なオリジナルのデザインはあり得ないという人がいます。
私はこの意見に賛成です。
模倣の部分のないデザインはありえないはずです。

でも、オリジナルのデザインはあり得ます。
前述の通り、模倣から生まれ、模倣を含んでいてもオリジナルと言えるからです。

オリジナルなデザインを求める事


何かを作るなら、やはり人の色を出したいものです。
つまり、オリジナルなデザインを作りだいたい。

WEBデザインでも同じで、人と同じものを作るより違うものをつくりたいと思います。

ただ、これはとても難しい。

もちろん細分まで含めるとほとんどのWEBデザインはオリジナルではあります。
同じデザインでもコーディングが全く同じと言う事はないでしょうし、他の部分でも(サーバーの性能など)同じではありません。

しかし、やはり同じに見えてしまう事が多々あります。
どう見ても違うデザインなのに、受ける印象が同じになる。
振り返れば、こう感じるのは意外と多いのではないでしょうか?

原因は主に細部の気遣いの無さである場合が多いかと思いますが・・・。

個人的には、ここで視点を変えると求めるオリジナリティが見えてきます。
それは、どう見ても同じなのに、違う印象を受けるデザインです。

受ける印象を大事にし、部分に類似性が多く見られても大きな違いを感じる。
これが求めるオリジナリティです。

もちろん、全く違うデザインで、全く違う印象を与えることも目指しています。
ただ、それだけではないのです。

結び


どこかが似ているからダメだ!と言う考えがダメです。
全体を見てオリジナルを感じられれば良いのです。
オリジナルを作るために必要なものは、模倣の拒絶ではないのです。

方法は問わず、結果を求める。

やるべき事は、こんなすっきりとした内容に集約できてしまいます。
集中し、根を詰めなければなりませんが、模倣を否定して苦しむ必要は無いのです。

オリジナルは模倣から生まれる。

デザインに限らず、どんな分野でも適応で出来る真実ではないでしょうか?

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