2010年7月30日金曜日

SEOを情緒的に考える

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リンクを付けて、順位を上げる。

現状、効果のあるSEOの方法として最も有力且つ強力な方法が、リンクを貼る事ではないでしょうか?
他の方法や要因は外部内部を含めて数あれど、リンク程明確な要因はないのかも知れません。

この事を考えていると、ふと浮かんだ事について書いてみます。
テーマは、SEOを情緒的に考える、です。
なんら実践的なお話ではありません。



SEOを客観的に見ると


SEOは検索エンジンの検索結果で上位に表示させる事。

より本質的に言えば、検索エンジンのロボットに対して適切な情報を渡し、正当な評価をしてもらう為の技術です。
本質を捉えずに表面だけを求めると非常に即物的で野蛮な技術に思えますが、何のことはありません。
正確に自己紹介をして、相手に理解してもらう為の技術です。

この点を擬人化して考えると、SEOは学校の先生や同級生に自分を知ってもらうための行為だと言い換えられます。
子供ながらにその存在を知らしめたくて、いろいろな事を行う訳です。
例えば、

  • 目立つ為に大声を張り上げる子
  • 周囲に気を配り皆を助ける子
  • 規則を率先して守って褒められる子
  • 規則をやっぶって怒られる子
  • 弱い子をいじめる子
  • 弱い子を助ける子

などなど、それぞれがそれぞれに強く主張します。
こういった行為は本能的な動機で行われ、生きる為の本能的行為とも言えます。
1人では生きて行けないし、他人から認めてもらえないと存在価値を確認できないからです。

そして、それ故にどんな手段でもとりうる事になります。
生きる為に必要なら、良い悪いを判断する理性はブレーキとして働かないのでしょう。


この点をSEOの話に戻すと、上位表示をしなければビジネスとして成り立たず、生き残れない。
だから、何をしても良いと考える。
このようになるのではないでしょうか?

そして、相手が先生ではなくBOT(機械)なだけにより殺伐とした方向に動きだします。
その行き着く先が、リンクを張るという単純にして有効な行為になったと思います。

では、生きて行く為なら何をしてもいいのか?
リンクが必要なら、あらゆる手を尽くしてリンクを求めてよいのか?

情緒的なSEOの考え方


ここまで考えると、とても殺伐として直線的な感覚を覚えます。
目的と手段と結果だけが存在する、非人間的世界。
非人間的世界なので道徳は無く、何でもありの世界。

個人的にあまり良い世界に思えません。
目的と手段と結果の間には、もっといろいろなものがあるはずだと思うからです。

そこで浮かんで来たのが、レイモンド・チャンドラーの書く小説「Play Back」の主人公・フィリップ=マーロウの有名なセリフです。
そのセリフは、

タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては、生きている資格はない

です。
ぴったりの言葉だと思います。

生きる為にダーティーな事もいとわない強さがいるけれど、そこに優しさをもっていなければそもそも生きる価値がないと言うのですから。

必要な事は必要で、だけれどそれだけではダメなのです。

SEOに関わる人は皆大人のハズです。
であれば、子供ではないのですから生存本能のままに効率や効果に一直線ではなくて、その行為をする自分に生きる価値があるのかどうかを考えることも悪くはないのでは?

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