2010年8月20日金曜日

言語で変わる、タイポグラフィの見え方

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言語の違いによるタイポグラフィの見え方の違いについて。

前からそうなのだろうと、考えていた内容です。
タイポグラフィとは書いていますが、今回の記事はデザイン全般に対して言える事だと考えています。


タイポグラフィはカッコイイ


タイポグラフィという視点でデザインを見る時、そこにはカッコよさがあります。

洗練されて、読みやすくて、魅力的で、整然としていて、その他いろいろの良さを目にするはずです。

しかし、カッコイイデザインのタイポグラフィが英語等の外国語である場合、その見え方は2つに分かれます。

その境目は、該当のデザインに用いられてる言語を自然に読み書き出来るか出来ないかです。

読めるか読めないかの違い


デザインに用いられた言語が非常に身近な言語であれば、そのタイポグラフィは読む為のデザインだと自然に認識されます。

判読性や視認性を考慮していると感じられれば快適に見えますし、そうでないなら不快に見えるはずです。
あくまで読む為の文字であるので、図形として文字を強く認識している訳ではありません。

一方、該当のデザインに用いられた言語を閲覧者が読めない場合は、文字が図形だと認識されます。
その結果、図形としてのカッコよさが目につきます。

また、文字を読むことが出来ないため判読性も視認性も実感として感じられません。

つまり読めるか読めないかの違いは、タイポグラフィを文字と認識するか図形と認識するかの違いとなります。

結び


文字を文字として見るか図形として見るかは、とても大きな視点の違いを意味しています。

イメージとしては「壁のシミがお化けに見える」時と考えると、分かりやすいかもしれません。
気が付く前と後では、同じものを見ても認識が激変しています。

ここが重要で、例えば日本語を自分の言語とする私が、英語で評価の高いタイポグラフィを見るとします。
すると、私は英語が自然に理解できないので、文字としてのタイポグラフィの評価(価値)を理解する事が出来ないのです。

ここまでの内容が正しいならば、タイポグラフィだけでは無く海外のデザイン全てが同様ではないでしょうか?

優れた海外のデザインをしっかりと取り入れたいならば、そのデザインに含まれる言語を習得しなければいけないとさえ、言えるかもしれません。

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