2013年10月21日月曜日

基本的に努力に価値はないけれど、時には価値を持つことがある。

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たまには持論を少々。といっても、あんまりうまく言葉にできた試しがないのですが...。ここに書くことは、わりと昔から考えていることでもありますので、そろそろ言葉にできればなと思う次第です。

テーマは「努力」とか、がんばることとかそんな感じです。


「努力は必ずいつか報われる」なんてことはない


誰もが理解している割になかなか口に出せないことかと思いますが、「努力は必ずいつか報われる」なんてことはありません。これは、今までの人生を振り返れば誰に説得される訳でもなく明白でしょう。

努力の結果としていつか目的が達成できるなら、世の中はもっと違う形になっているかと思います。少なくとも、人間以外の生き物は生きる努力をしているわけで、全員の努力が報われることはあり得ませんから。

「人間だけが特別だ!」という場合は、「そうですね」としか言いようがありませんが。

「努力は報われた時に価値を持つ」


では、叶わない努力に価値はないのかといえば。ないと思います。といいますか、叶うまで努力に価値はないのではと思ってます。存在していた価値を否定しているのではなくて、元から価値が存在しないという考え方です。

で、叶った時に初めて努力は価値を持つと思うわけです。

努力は独力で報われるとは限らない

ここで重要なのは、努力が報いられるのは本人の力がすべてということではない点です。大抵の場合は、周囲との関連が重要です。周囲の環境、人間関係、タイミング、などなど。

どれかは自分の力で整えることができますが、すべては無理です。最初からできないと決まってはいませんが、できると決まってもいないのです。

目的達成のために努力は必須でもない

別の側面を見ると、努力は必須ではありません。望めば叶うものもあります。

偶然だったり、必然だったり。そういったものは厳然として存在します。

努力の目的とその結果


努力、といまますか、厳密に言えば努力をしている時に使った時間や労力や金銭を無駄にしたくないなら。

「目的を果たし結果をだすこと」

なのですが、それだけでもありません。ここのところを思い間違うと、いろいろと大変になってくるかと思います。主に精神的に。落ち込みますものね。

ここで重要なのは「最初に決めた目的から一ミリもズレない結果」をだすことを重視しない点かと思います。加えて、「努力のすべてを結果に反映させなければならない」という思い込みを控えることです。

努力の結果は心持ち1つ

詐欺みたいな話ですが、「目的をある程度達成した」「努力をある程度活かせた」という状態でいいのではないかと思っています。「完全な成果」という意識から思い込みから解放されれば、あとはなんとかなるものです。

むしろ目指すのはそこで、努力を全部無駄にしたくないなら幾ばくかの努力だけでも活かせるようにあがくべきなのかもしれません。時には踏ん張り、時には身を翻し、機転を利かせ、目を閉じ耳を閉じ、後ずさり。ともかく、当初の目的から目を離して、なんとしても何かを掴むのです。

そうすれば、僅かな努力は価値を持つはずです。報われない努力はもちろんありますし、それを自覚して落ち込むこともあるでしょう。でも、それだけでもないはずです。

落ち込む力があるなら、努力を活かすことに力を使ってみてください。その瞬間は望まない形かもしれませんが、最終的にはどこかに落ち着くのですから。

結び


結局、うまく言葉にできていませんが...。

ここまでの内容から「逃げてもいいんだよ」とか「努力はしなくていい」などと思われるかもしれませんが、その辺は趣旨と全く違います。

努力も他のいろいろな物事とおなじで、良いものダメなものもあるというだけです。そしてそれは相互に排他的でもなくて、ある程度よくてある程度ダメという、しかも当人の心持ち次第の曖昧なものにすぎないのではということです。



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