2014年8月20日水曜日

キュレーションサービスがキュレーションを潰すかもしれない

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以前からTwitterにてちょろちょろ書いていたキュレーションサービスに関する私見を少しまとめてみたいと思います。いつもながら自分用の記事です。

なお、今回はいつも以上に偏りがありますので、一般論だというつもりは毛頭ありません。しかし、私個人としての考えはこの記事の内容のままです。



キュレーション自体は価値がある


まず、キュレーションですがkotobankのキュレーション項目にて以下のように書かれています。

IT用語としては、インターネット上の情報を収集しまとめること。または収集した情報を分類し、つなぎ合わせて新しい価値を持たせて共有することを言う。キュレーションを行う人はキュレーターと呼ばれる。

数多あるweb上の情報を収集し、編集して提供するということですから、これには大きな価値があります。

埋もれているけれど重要で価値ある情報を見つけ出したり、単体での価値は低いけれども組み合わせや切り口の変化で価値を持たせることができるのですから、悪いことではありません。

だから、キュレーション自体には価値があると考えています。

キュレーションサービスの価値に対する疑問


では、最近にぎわっているキュレーションサービスの価値についてはどうか?

以前から、個人的にはもやもやとしながらも強い違和感を感じていました。
この違和感がどうにも形にできず持て余していたところ、先日とある方にご指摘いただき納得できました。得た答えを前述の引用を踏まえて言葉にしますと、

キュレーションによって生み出された「価値」は、「キュレーションした側」にとっての「価値」でしかない

となります。

キュレーションの本質とは?

キュレーションというのは「情報を作る側」「情報を受け取る側」「情報をキュレーションする側」の3者がいて成り立つものだと考えられます。

そしてこの三者の存在が必須となる場合、キュレーションによって提供する「価値」の大小関係は、『(「情報を作る側」or「情報を受け取る側」) ≧「情報をキュレーションする側」』のような構図になるはずです。

なぜなら、キュレーションした結果として「情報を作る側」と「情報を受け取る側」の利益(金銭的な意味だけではありません)になっていないと、キュレーションしたこと自体に価値がないからです。

「キュレーションした側」自身がどれほど価値があると思っていても、それを伝えられてナンボです。伝えられないなら、キュレーターとしての能力がないということになります。

キュレーションサービスが作り出す「価値」

キュレーションサービスが自らの有用性を示す場合、PV数やダウンロード数を持ち出すことが多いように思えます。これは、広告媒体としての価値をアピールし、サービスをマネタイズするためでしょう。ビジネスとしては当然なのですが、これは前述のようにキュレーションの価値とは思えません。

キュレーションサービスの価値を示すなら、キュレーションによって「情報を作る側」や「情報を受け取る側」にもたらした「価値」を提示する必要があります。
「どうやって示せばいいのか」と悩むなら、キュレーションという行為を自分の利益のための商売道具としてしか見ていない証拠となるでしょう。

もちろん、webにおいてはPVの価値は計り知れません。キュレーションしたことにより、情報もとにアクセスが流れ露出が増すことは充分に考えられます。
ただ、その結果「情報を作る側」どうなって、今後はどうなるのでしょうか。キュレーションした事柄や人に対する扱いとして、後のことを考えないのでは不足だと思えます。

キュレーションサービスがキュレーションを潰すかもしれない


キュレーションはwebにおけるメタ的な「編集」ともいえる、大きな役割を担うものにも思えました。目録の目録や統計の統計のように非常に有益なものです。

ですが、現状ではキュレーションサービス自身がwebでのキュレーションをだめにしていく過程をみているようで、なんだかなという印象です。

ビジネスとしての利益の重要性は重々承知ですが、キュレーションの性質を考えるとキュレーターの利益だけを考えていては成り立たないように思えます。
私の狭い視界の範囲ですが、「情報を作る側」のキュレーションサービスに対する感情は現在進行形で悪化しています。「フリーライド(タダ乗り)で稼ぐ輩」であり「害を成すサービス」である、という感じです。

こういう事態の打開、あるいは回避には、それこそキュレーションすることによる価値の創出が重要なのでしょう。

言葉をかえれば、キュレーターの利益は「情報を作る側」と「情報を受け取る側」の利益の先にしかないのかもしれません。

キュレーションサイトがこのままであれば、自分自身でキュレーションをだめにするかもしれません。

キュレーターの質


キュレーションはキュレーターの質に左右されます。

キュレーションサービスが出てくる以前、キュレーターと言えば美術などの分野で作品の展示や企画を行う人を指していました。当然素人では務まらず、ほとんどはその道に専門家であり提案力も持った方でしょう。

もう少し具体的に書けば、作品や作者単体ではなく、当時の世相や流行を背景として理解したうえで作者と作品の立ち位置を把握し、それらを他の作品や他の作者とつなげます。その結果として作品を「新しい視点」で見てもらえるように腐心します。

すべては「キュレーションの対象」のためであり、キュレーターの評価はキュレーションの結果の上に成り立ちます。

キュレーションの対象に如何に新たな価値をもたせるか。それができる方がキュレーターであり、そのキュレーターが置こうなう行為がキュレーションだと言えるでしょう。

レコメンドとの混同

つまり、キュレーターは誰でもできるものではありません。キュレーション対象の分野に精通していなければキュレーションなどできませんから。

キュレーションサービスを展開する方は多くの分野を扱っていますが、すべてに精通しているとは思えません。キュレーター募集というのも見かけますが、「少し知っている」や「一家言持っている」程度の方ではレベルが低すぎます。

それとも、キュレーションサービスという看板を掲げれば「素人キュレーター」というのが許容されるという認識でしょうか?

正直な感想を言えば、キュレーションサービスの中身は安易な「レコメンド」にすぎないと思っています。「私が面白いと思うものを集めてみました!」というだけの稚拙なものです。

レコメンドは単体の集合体にすぎず、新たな価値を生みません。故に、キュレーションではありません。

結び


結構な偏り具合かもしれませんが、思っていることはこんな感じです。

多少嫌みなことを言えば、キュレーション自体に興味がないキュレーションサービスばかりであれば、この記事は全く意味がないでしょう。その場合、彼らには「意義」など無価値ですから。

崇高な理念を持ってやれといいたいわけではないのですが、「儲けの手段」に貶めている現状が認め難いというだけです。「キュレーションの結果」で儲けるのか「キュレーションしたという行為」で儲けるのか。この差は非常に大きいと思います。

ちなみに、真っ当にキュレーションをして行く場合に上記の問題をほぼ解決できそうな方法があります。

「情報を作る側」に許可をとってやってください。

それだけで、少なくとも「情報を作る側」の印象は変わるはずです。結果としてより高品質なキュレーションが可能となるかもしれません。もしも、コストがかかって許可がとれないならば。

そもそもそのサービスは成り立たない

のではないでしょうか?

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