2016年3月16日水曜日

行為に対する認識

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クジラ死骸上でガッツポーズ 写真コン最優秀作品に批判

上記記事は、会員登録していないので読めてない部分がありますが、Twitterなどで見ると反応がいろいろだなぁと。

この辺、バックボーンというか「今までに何を知りどう考えてきたのか」が現れているように思えたので、気分転換に少し書いてみたいと思います。

踏むという行為


「踏み絵」によく現れていますが、踏むという行為には「良い意味合い」が薄いと考えています。

「ガッツポーズをとった人」「撮影をした人」「評価した人」などは、この「踏む」という行為にそういったマイナスの意味は感じていない可能性が高いのでしょう。

同じように考えると、「足蹴にする」と「指でつつく」、「掲げる」と「吊るす」なども、「行為」と「その意味」の関係性を認識しているか否かで反応が変わるはずです。

個人的には、この「行為に対する認識」という部分が重要なポイントかなと思います。

釣りとの関係


釣りを引き合いに出す方もいますが、釣った魚を踏みつけて誇る方はあまりいないと思うので、今回の写真の行為とは同じに考えられません。

釣った魚を「吊るす」というのはありますが、その点は後述。

狩りとの関係


狩りでは、例えば撃ち殺した鹿に片足を乗せてポーズをとるということはあり得ると思います。

この点では「クジラの死骸に乗る」という行為に対して違いはなさそうですが、多くの場合においてその意図が違うはず。

具体的には、動物を殺すことで食料や毛皮などの需要を満たすという目的があるためです。

食料とするから踏んで良い、あるいは、前述のように捕った魚を吊るすのが素晴らしいとは思いませんが(個人的には好きではありません)が、最終的に「食うために殺している」ので、その点で問題は感じません。

また、「獲物を狩った」という本人が「足を乗せる」や「吊るす」という行為を行っている点も重要だと思えます。

この場合は「獲物を狩ったことを誇る」という意味があり、獲物をないがしろにしている意図がないと考えられるためです。

対して、鯨に足を乗せている方は自分で「狩った」わけでもなく、ただただ「踏みつけている」という状態であり、しかもそのポーズを「征服」という意図で用いています。

この点は「冒涜」という印象を与える要因でしょう。

結び


写真的な質の判断は置いておいて、私個人は「踏む」という行為を「良くないこと」と認識しているので、あの写真は「酷い行為を写した酷い写真」となります。

なお、この件は以下のような行為をどう認識しているのかというような、日常に存在する身近な問題と根本が同じです。

・「食品の入った袋を地面に置く」
・「電車待ちの列を無視して乗り込む」
・「深夜に洗濯機を回す」
・「室内で大声で叫ぶ」

気にしない人は気にしませんが、気になる人には気になるでしょう。

こういった事柄は双方が「お互いの認識が違う」のだという点を理解していないなければ、どれほど話し合っても言葉が噛み合うことはないと思います。

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